出産日まで油断できない!38週で妊娠中毒症になってしまった

再三注意を受けていたにも関わらず対策をしていなかった自分が悪い

私が妊娠中毒症になったのは、3年前の夏、出産予定日の9日前でした。

週に一度になっていた定期検査で、もう少しで出産かと初めての経験にドキドキと不安を抱えながら、お腹を撫でる毎日を過ごしていました。

その日はいつものように尿検査を行い、NSTをして、エコーで赤ちゃんの元気な姿を見てもらい、先生の診察という流れでした。

私が通っていた病院は、おじいちゃん先生が1人で診察や出産の取り上げを行う個人の病院でした。

どちらかというと寡黙なタイプの先生は、声も小さく、あまり笑うこともない、でも優しそうな雰囲気の方です。

「質問はありますか?」と毎回聞いてくれたものの、何を聞いていいのかわからなく、質問をしたことがなく、雑談もしたことがありませんでした。

しかし、その日は先生から「可愛い赤ちゃんですね」とエコーで見た際に言ってくれ、笑顔を見せてくれました。

とてもいい気分でエコーを終え、診察をしていると「尿検査の結果で、尿タンパクが2+になっている、このままでは危険な状態なので別の病院を紹介します」と言われました。

今までの浮かれた気分が一転、どん底に落とされた気持ちでした。

私は妊娠4ヶ月くらいから尿タンパクが出ていました。

また体重も食欲のあるままに食べ続け、この頃には妊娠前から19キロも増えていました。

臨月に入ってからはむくみも出るようになり、足首はなくなり、靴は入らなくなっていました。

再三注意を受けていたのに、私は妊娠中毒症になってしまったのです。

この病院で産めるとただただ思っていた私はとても悲しくて仕方ありませんでした。

転院が決まった後も看護師さんに「またこの病院に戻ってこれますか?」と聞いたくらいです。

翌日、転院先の市民病院へ行くことになりました。

1から検査を行うため色々な科を回ってから産婦人科へ向かいました。

結果は昨日と同じ妊娠中毒症でした。

腎臓の機能が衰えており、このままでは母体にも危険が及ぶということ、胎盤が機能しておらず、羊水も少なくなっているということ、一刻も早く出産をしなくてはいけないということで、即入院することになりました。

自分が怠惰な生活をしてきたためにお腹の赤ちゃんは苦しい思いをしている、本当はもっとお腹の中にいたかったかもしれないのに無理に出産をしなくてはいけなくなってしまった、私のせいだ、ごめんねごめんね、という気持ちから病院でずっと泣いていました。

一度家へ帰り荷物をまとめようとしていると、夜勤明けで寝ていた夫が気づき起きてきてくれました。

事情を話し、病院へといってくれることとなり、到着してから先生に同じ説明を受けました。

明日の午前中から促進剤を打ち、バルーンも入れるということ、万が一何かあった時は帝王切開も行うという説明も受けました。

夫は理解をし、また明日くるからということで仕事に向かって行きました。

促進剤を打つ予定だったが、その前に赤ちゃんが生まれる準備に入ってくれた

その日は夜眠れませんでした。

その日だけじゃなく、もう何日もちゃんと眠ってはいませんでした。

夜中の2時まで起きて、4時に目が覚めてトイレへ。

するとなにやら鮮血が付いています。

あれ?おかしいな…すると1時間もするとお腹も痛み出してきました。

促進剤を打つ前にお腹の赤ちゃんが出る準備をし始めてくれたのです。

あれよあれよと時間が経ち、その5時間後には無事に出産をしていました。

自分でもとても驚きました。

妊娠中毒症になり、泣きべそをかいていた私に気づいたのか、話を聞いて怖くなったのかわかりませんが赤ちゃんが外に出るという意志を出してくれたのです。

2640グラムと少なめの赤ちゃんでしたが、立派にお腹の中で育ってくれていました。

妊娠中毒症は体質ということもありますが、自身でならないように心がけることができます。

私もこのことを踏まえ、2人目の妊娠では気にかけて妊娠中毒症にならずにすみました。

お腹の中の赤ちゃんを守れるのは自分自身です。

勝手に育つという安易な考えは痛い目を見ると痛感しました。

現在、子は3歳を迎え元気に過ごしています。

今でも出産日のことを思い出し、自分に反省するばかりです。

でも元気で日々過ごしていることに感謝でいっぱいです。

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